こんにちは、もとーです
私はここ3年前ぐらいから古代日本史に興味を持ち始めて、全国様々な神社巡りをしています
そこでまず地元の神社にはどんな神様が祀られているの知ろうと思い調べてみました
その中で興味深かったのが延喜式神名帳にも記されている伊達神社(いたてじんじゃ)・志磨神社(しまじんじゃ)・静火神社(しずひじんじゃ)の紀三所社(きのさんしょしゃ)についてです
私も長い間和歌山市に住んでいますが全く知りませんでした(;^_^A
今回は実際にその紀三所社の三つの神社に行って、思ったことを書いてみました
紀三所社とは
紀三所社(きのさんしょしゃ)とは、現在の和歌山県和歌山市に鎮座する、いずれも『延喜式神名帳』に名神大社として記載された三つの神社。神階昇叙も全く同一のタイミングで認められています
和歌山では大・小合わせて31座の神社があります
伊達神社
伊達神社(いたてじんじゃ)は和歌山市園部にある神社です
主祭神は五十猛命(いたけるのみこと)であの素戔嗚尊(すさのおみこと)の御子です
この神様は日本全国に木種を播植された神様で、伊太祁曽神社でも祀られています
神社自体は元々は違う場所らしく、古くから鎮座しているわけではないらしい、、
志磨神社
志磨神社は和歌山市中之島にある神社です
主祭神は中津島姫命(なかつしまひめのみこと)で天照大神と素戔嗚尊が誓約を経て生まれた神様です
水・財宝の神として崇められているので、仏教では弁天様と同一視されています
神社自体は元々は違う場所らしく、古くから鎮座しているわけではないらしい、、
神社の名前の由来は「中之島」の「島」からとった言われている
静火神社
静火神社(しずひじんじゃ)は和歌山市和田にある神社です
主祭神は静火大神?と言われているが詳しくわかりません
最盛期には近くの竈山神社よりも格式が上だった時期があった
江戸時代以前に一度廃絶しているため、現在は天霧山に祀られているが元々は違う場所らしい、、
県道13号あたりに鎮座していたらしく、今は石碑が建てられている
三つの神社の中でよくわからない神社です(゜-゜)
実際に訪れてみて思ったこと
正直初めて見た感想は三社とも国から認められた神社と言るにも関わらず、他の大きな神社に比べ見劣りしてしまうのが第1印象です
日前宮や伊太祁曽神社など大きな社と比べたら、静火神社なんかはポツンと小さな社だけ、、
そこで思ったのが、神代時代では格式が高いにも関わらず隅に追いやらるようになったのか?
古代木の国を治めていたのは
これは私自身の考察なのだが古代木の国は五十猛命など国津神達が治めていたと考えらる
しかし、天孫降臨や神武東征による、天津神が国津神に変わってこの日本を治めたからではないかと!(皇族を批判しているわけではありません(;^_^A)
ただ完全な排除してしまうと国民の反感を買ってしまうので、国津神と天津神同等な扱いとして祀ろうと
それでも2000年以上の時を超え、今の時代までこの三社の名前と神社が残っているのは奇跡です
やはり地元民の信仰心あってのことだと思います
それがたとえ小さな社だとしても人々が忘れなけば、そこに在り続けらるのですから
ここまで日本神話など読んだことない人にとってはあまり読みなれない単語多かったと思いますが少しでも興味をもってくれたなら幸いです
これからもこのブログでは神道や神社について書いていこうと思いますので気が向いたらでいいので見て下さいね
ご質問やご要望があればコメント欄に書いてくださいね~(^^♪
では、また!
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