こんにちは、もとーです。
今回の記事は徳島県の神社をスポットを置いた内容となっております。
皆さんは「邪馬台国」はどこにあるのか、ご存知でしょうか?
「北九州説」「畿内説」など今でも論争が続いている中で、近年盛り上がっている説が徳島県の「阿波説」であります
ここでは私が行ってきた「阿波邪馬台国」にゆかりのある神社をご紹介します。
🌀阿波国と邪馬台国──幻の都は四国にあった?
古代日本最大のミステリー「邪馬台国はどこにあったのか?」
有力な候補地として九州説・畿内説が有名ですが、実は四国・阿波国(現在の徳島県)をその候補に挙げる説も根強く存在します。
阿波国には古代の地名や神話、そして卑弥呼にまつわる痕跡とも言える伝承が数多く残されています。特に注目されるのが「忌部氏(いんべし)」の存在。祭祀を司ったこの豪族が、古代の政権中枢と深く関わっていた可能性があるのです。
さらに「卑弥呼」の発音が「ヒミカ」ではなく「ヒミコ(=日の巫女)」であれば、太陽信仰の強いこの地の巫女的存在と結びつくという説も…🌞
阿波邪馬台国ゆかりの神社
⛩️ 大麻比古神社(鳴門市)
阿波国一宮として古くから崇敬を集める大社。主祭神の大麻比古大神は、農耕や開拓の神として知られ、阿波の人々を古代から守ってきました。
卑弥呼が倭国をまとめた時代、この地でも同じように豊穣と平和を祈る祭祀が行われていたのかもしれません
⛩️ 忌部神社(つるぎ町)
阿波忌部の祖神・天日鷲命(あめのひわしのみこと)を祀る古社。
『古事記』や『日本書紀』の天岩戸神話にも登場するこの神は、祭祀や機織りの神であり、卑弥呼を連想させる「祭祀の中心」に立つ存在です。
邪馬台国が宗教的求心力を持つ国だったと考えると、忌部神社の存在は無視できません
⛩️ 上一宮大粟神社(阿波市)
大宜都比売命(おおげつひめのみこと)を祀る神社。穀物の女神として、五穀豊穣を司る古代信仰の中心でした。
「大粟(おおあわ)」という社名は「阿波国」と響きを重ね、阿波こそ倭国の中心だったのではないか、という想像をかき立てます。
大粟山の中腹にある境内は自然信仰の気配に満ち、古代祭祀の姿をそのまま今に伝えているようです
⛩️大御和神社
徳島県美馬市脇町に鎮座する大御和神社(おおみわじんじゃ)は、古代から阿波の人々に信仰されてきた由緒ある神社です。
社名の「御和」は「大和(やまと)」に通じ、奈良の大神神社(おおみわじんじゃ)と関わりを持つとも伝えられています。
そのため、この神社はしばしば 邪馬台国阿波説 の舞台とも結びつけられ、古代のヤマト政権と阿波国との交流を物語る存在と考えられています。
⛩️多祁御奈刀弥神社

「(長野県)諏訪大社の“元宮”」だったのではないかと言われている
徳島県阿波市市場町に鎮座する 多祁御奈刀弥神社(たけみなとみじんじゃ)。
その社名は珍しく、古代からの祈りを今に伝える歴史ある神社です。
ご祭神は 大宜都比売命(おおげつひめのみこと)。
食物の神として、五穀豊穣や農業守護をもたらす女神で、『古事記』にも登場する存在です。
豊かな阿波の大地にふさわしい神様として、地域の人々から大切に祀られてきました。
境内は静かで素朴ながら、古代の息吹を感じる落ち着いた雰囲気。
「阿波邪馬台国」説ともゆかりがある地とされ、歴史好きにとっても興味深いスポットです。
⛩️天石門別八倉比賣神社
徳島県神山町に鎮座する 天石門別八倉比賣神社(あまのいわとわけやくらひめじんじゃ)。
その社名には「天岩戸」の響きがあり、天照大御神の神話と深く結びつく古社です。
ご祭神の 八倉比賣命(やくらひめのみこと) は、穀物や食を司る女神。
民を養い、祈りで国を支える存在は、『魏志倭人伝』に描かれる女王 卑弥呼 の姿を連想させます。

この祭壇は卑弥呼の墓ではないのかと言われています
まとめ
邪馬台国説は、まだ学術的に定説ではありません。
しかし、徳島の神社を巡ることで、古代のロマンと人々の祈りを体感することができます。
旅のテーマに「邪馬台国」を加えてみると、徳島の神社巡りは一層奥深いものになります。
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